2005年4月25日

東京もあまり暖かくないそうですが、こちらも秋に逆戻りしたような、雨模様の肌寒い天気です。

兵庫県のJR脱線事故は、約50人もの犠牲者が出たということで、ドイツでも大きく報道されています。ご家族を亡くされた方、ご家族にけが人があった方には、心からお見舞い申し上げます。

私も5年間事件記者として働いていた兵庫県は、本当に捜査当局でいうところの「特異事案」が多く発生するところです。深夜の電車事故では、よくデスクからの電話で叩き起こされて現場に出動しました。阪急電車の阪急六甲駅で発生した衝突事故は、今もよく覚えています。日本海側の余部鉄橋では、強風で列車が橋から転落するという事故がありました。

神戸赴任1年目に発生した、神戸電鉄有馬線の事故では、朝食をとらずに家を出てから午後2時まで、全く食事なしで働いたため、かなり疲れました。この頃は私は朝食抜きで出かけ、警察に着いてから警察の食堂や近くの喫茶店で食事をしていたのですが、出勤途中にポケットベルリンが鳴ると、朝食抜きで何時間も働かなくてはならなくなるということに気づき、これ以降は朝5時に家を出る時でも、食事をする癖がつきました。

旧東ドイツの作家ヴァルター・ケンポフスキーがまとめた戦争記録集「Das Echolot」(測深探査機)第8巻目を読み終わりました。1巻が840ページもあり、全部で約6700ページになります。たとえば第8巻目は、1944年の2月6日から2月14日までの出来事を、市民の日記、手紙、メモ、放送のプログラムなどで再構成してあります。最後は、英米軍の大空襲で古都ドレスデンが、灰燼に帰すところで終わっています。まるで百科事典のような本なので、読み終わるのに数年かかりました。(朝食を取る時にしか読まないので)

こんなものを読んでどこが面白いのだと思われる方が多いと思いますが、日本では絶対に翻訳されることがない、体験者の生の声がぎっしりつまった貴重な記録だと思います。

ケンポフスキーは、次の巻の編集に入っているということです。